習い事としての将棋人気が高まっている……らしいです。藤井聡太五冠効果によって将棋という競技には追い風が吹いていますから、たぶん事実でしょう。
私も娘がいるのでわかりますが、親というのは子どもに習い事をさせる際、効用──その習い事が子どもの成長に役立つことを期待するものです。いや、本人が楽しくやってくれれば、それでいいんですよ。と思いつつ、どうせやるなら「ためになる習い事」をやってほしい、というのが本音ではあります。
将棋という習い事の効用は? 平たく言えば、将棋を習うことで、人間的にどう成長するのか?
たぶん、礼儀が身につくとか、頭が良くなるとか、そういうイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。私の考えは少し違うのですが、今回の記事では、そのあたりについて書いてみます。
将棋は「主体性」を養ってくれる競技
私も、将棋のおかげで自分は人間的に成長できたと思っています。その経験から、将棋は以下の要素を伸ばしてくれると考えています。
- 自分で考える
- 自分で決断する
- その結果の責任を自分で負う
一言でいえば、「主体性」を養ってくれるのが将棋という競技だと思います。こういう言い方はアレですが、これ、今の日本人にもっとも欠けている能力ではないでしょうか。
自分で考えない、自分で決めない、責任回避術ばかり長けている……。
特に今回のコロナ禍で、このあたりが浮き彫りになったと私は感じています。言っちゃ悪いけど、そんな人間ばかりになったら、そりゃ日本も衰退するわ……。
自分で考え自分で決めて自分で責任を負う それが将棋
という愚痴はともかくとして、将棋をやることで、どう主体性のある人間に成長してくれるのでしょうか?
対局中は、どういう手を指すか自分で考えなければいけません。誰もアドバイスをくれない。誰かを頼ることは一切できない。全部自分で考える必要があります。
どの手を指すかの決断。誰も決めてくれません。いつだって“決裁者”は自分です。
そして、悪手を指して負けてしまったとしても、それはすべて自分の責任です。サッカーや野球なら、「負けたのはアイツのせいだ。俺は悪くない」とチームメイトに責任転嫁できるかもしれませんが、将棋では不可能。負けという結果、そしてそれに伴う負の感情を、自分で受け入れて処理しなければいけない。
これが将棋という競技です。変な言い方かもしれませんが、嫌でも主体的にならざるをえないのです。主体的になる訓練を繰り返すことで、将棋以外の場面でも、主体性を発揮できる可能性が高まる。
それを言うなら囲碁とかも同じじゃね? と思うでしょうが、そうですね。同様の習い事は、他にいくらでもあるでしょう。だから、自分の子どもに合った習い事を探してあげるのが、親の役割だと思います。人には向き不向きがありますから。
なぜ主体性が大事なのか?
主体的・主体性というキーワードを出しましたが、言い換えれば「周りに流されないこと」です。
周りに流されないことが、なぜ大事なのか?
勝ち組・負け組。もはや使い古された言葉ですが、これからの世の中、残念ながら負け組になってしまう人の方が多く、勝ち組になれる人間は少数なのが現実でしょう。だから、周りに流されるだけの人間は多数派、つまり負け組になる可能性が極めて高いわけです。
自分で考え、自分で決め、その結果を受け止める。これができる人間は、貴重だと断言できます。そういう人材になるための第一歩として、将棋は有効な習い事だというのが私の考えです。