振り飛車一筋・KYSの将棋ブログ

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永瀬王座のスーツでタイトル戦対局は正直賛成できない

王座戦5番勝負は、2020(令和2)年に続いて、2021(令和3)年も永瀬拓矢王座が挑戦者を退けました。これで王座戦3連覇(奪取・防衛×2)です。おめでとうございます。

ただ、一つだけ言いたいことがあります。タイトル戦をスーツで対局するのはなぁ……。

ネット上では「別にスーツでもいいのでは?」という反応が多数ですが、一部では「やっぱタイトル戦では和服を着用すべきじゃない?」という疑問の声も上がっているようです。

いや、主催者側の許可は取っていたようなので、私がとやかく言うのは筋違いかもしれません。しかし、それを承知であえて言わせてほしい。

社会常識やマナー ルールでなくとも守るべきものはある

まず、「スーツって別にルール違反じゃないでしょ? ならいいじゃん」という意見について。

そう言ってしまえばそれまでかもしれませんが、しかし、「ルールに違反しなければ何をやってもOK」でよいのでしょうか。極端な例ですが、ルール違反でないからといって、Tシャツに短パンという格好で指すのも許されるのか?

世の中には、社会常識やマナー、TPOといった概念が存在します。挨拶をきちんとする、目上の人には敬語を使う、状況に応じた服装を選ぶ……。

これらはいずれもルールではありませんが、「ルールじゃないから別に守らなくてもいい」で済むでしょうか? そんなことはないですよね。人付き合いを円滑にし、社会をスムーズに動かしていくために必要なものです。

「和服は面倒だから」でスーツを選んだとしたら短絡的

そもそも、永瀬王座のスーツ着用はどちらなのでしょうか? 「将棋界のためを思って」なのか、それとも単に「和服は面倒くさいから」なのか。

将棋界のためを思ってというのは、

「タイトル戦に和服の慣習は、○○の理由で将棋界にとってはあまり良いことではないと思う。したがって自分はスーツで対局した」

みたいな理由のこと。
それならば筋は通しているわけで、納得できるしむしろ好感が持てます。

しかし、どうもそうではないようです。詳しくはこちらの記事で書いていますが、永瀬王座自身、「本当はスーツではなく和服で対局した方がいいんだろうけど……」と思っているようです。

タイトル戦の番勝負とは、将棋界の最高峰。予選までとは注目度が違います。その舞台に、「本当は良くないんだろうけど」つまり自分でもベストとは思っていない装いで登場するとは、いったいどういう了見なのか?

確かに和服は大変らしいですね。動きにくいし、着崩れやトイレの問題もある。そういう問題以前に、そもそも高価なモノでもあるし、事前の準備や後片付けなどの管理も大変なのでしょう。しかし、だからと言って「じゃあ和服はや~めた。スーツにしよ」と考えたとしたら、それはちょっと短絡的だと思います。

棋戦の価値を高めるのが棋士の仕事

現実的な話としては、対スポンサー(主催者)上の問題があります。

スポンサーは、趣味やボランティアではなく、れっきとしたビジネスとしてスポンサーを引き受けています。商品の広告や自社のイメージアップなどを狙って、スポンサーを引き受けているわけです。

であれば、スポンサーの利益のために棋戦の価値を高めることが、棋士の仕事のはずです。

「棋戦の価値を高める」などと曖昧な言い方をしましたが、ようは世間の注目を集めてイメージアップにつなげること。そのために一番必要なのは、言うまでもなく、良い将棋を指すことですね。アマチュアにはとても真似できない、プロの高レベルな攻防。それを見てファンは「すごい!」と感動し、注目してくれる。

しかし、じゃあプロ棋士は良い内容の将棋だけ指していればいいかというと、そうではないと私は思います。「将棋ってカッコいい!」と思ってもらうために、服装や立ち居振る舞いを意識するのも仕事の一つではないでしょうか。極端な例えですが、Tシャツや短パンで対局している棋士をカッコいいと感じるファンは、ほとんどいないはずです。

別にスーツという衣服をバカにするわけではありませんが、和服に比べると“お手軽感”があるのは否定できないでしょう。ぶっちゃけ、そのへんのサラリーマンが将棋を指しているみたいで、“特別感”が感じられません。注目度が低い予選なら、別にそれでいいのでしょうが……。

和の伝統文化である将棋に、これまた和の伝統文化である和服を組み合わせることで、“特別感”が演出される。それによって将棋が注目され、イメージアップにつながり、ひいてはスポンサーの利益にもなる……。

そのように考えられないでしょうか。

将棋界やスポンサーのことを考えて行動しているか?

もっとも、そのあたりの効果については曖昧ではあります。「和服よりスーツ対局のほうがカッコいい」と感じる人もいるでしょうし。

ただ、私が問いたいのは、「将棋界やスポンサーの利益を考えた行動なのか?」「それとも単なる自分本位の行動なのか?」という点です。

私は別に「伝統や慣習は絶対守るべき」などと言うつもりはないですし、変化を否定しているわけでもありません。変化とは「今よりも良くしたい」という気持ちの表れですから、前進するために必要なことです。

しかし、では和服ではなくスーツで対局することで、今よりも何がどう良くなるのか? 少なくとも、私にはそこが見えません。

「たかが和服かスーツかくらいで、そんなおおげさな」と思うかもしれませんが、自分の行動がどういう影響を及ぼすかを考えるのは、社会人として当然のことです。

タイトルホルダーは模範・お手本になることが求められる

万に一つもないとは思いますが、もし「和服は面倒じゃん。スーツの方がやりやすいし。てゆーか、自分は良い将棋を指して勝てればそれでいい」という考え方だとしたら、それは許されません。

タイトルホルダーとは将棋界を代表する人間。本人が望む望まないに関わらず、言動や行動が注目されます。

であれば、タイトルホルダーは模範・お手本になることが求められます。ようするに、「○○を見習え」と言われる人間を目指す必要があるわけです。

お手本・模範となるべき人物が、「自分が良い将棋を指して勝てればいい。それ以外は関係ない」という考え方をしてはダメです。そうした自分勝手な考えをする人間は、模範・お手本にふさわしくないからです。

最近は将棋の「教育効果」にも注目が集まっています。日本将棋連盟も、そのあたりをプッシュしていますよね。私も、将棋を通して人間は大きく成長できると信じています。社会常識やマナー、礼儀に気遣い、TPOなど、将棋で学べることはたくさんあります。

であれば、タイトルホルダーは子どもたちの模範・お手本になることが、よりいっそう求められるはずです。

棋聖戦での藤井七段のスーツは事情が違う

……とまあ、いろいろ書いてしましましたが、本人や関係者しか知らない事情もあるはず。しかるべき理由があるのなら、ここで私が書いたことは全て的外れです。その場合は大変申し訳ありません、お詫びいたします。

永瀬王座がまだ四段だった頃、将棋世界の特集記事で「1日8時間以上は勉強している」と答えていました。また、アマチュアの指導にも熱心だという話も読んだことがあります。将棋に取り組む姿勢について、模範・お手本とすべき棋士であることは、100%間違いありません。

なお、2020年6月に行われた棋聖戦第1局でも、挑戦者の藤井聡太七段(当時)がスーツで対局していました。しかし、あれは事情が違います。

棋聖戦の挑戦者決定戦が6月4日、第1局(開幕戦)が6月8日。ようするに、時間がなさ過ぎて和服を準備できなかったわけ。
(実際、藤井七段は、第2局以降は和服で対局しています)

もし第1局に藤井七段が和服で登場していたら、「最初から挑戦者決定戦で勝つ予定だったので^^」と言っているようなもの。謙虚を一つの美徳とする将棋において、それは傲慢です。そういうことをやらかさないあたり、藤井二冠は将棋の強さだけではなく、人間もできているなぁと感じますね。

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